メーカーとの接触
前々回のブログ記事で、3人の女性は、2006年当時、2冊目の自主制作本である“MTPB”のコンテンツの1つとして、マスキングテープの工場見学レポートを企画していたことを紹介しました。
その際、彼女たちはホームページなどの公開情報をもとに、国内に生産拠点があり、かつマスキングテープの製造・販売を専業とするメーカーを調べた結果、カモ井加工紙(以下、カモ井)がこの条件に該当すると判断し、同社に工場見学を依頼するメールを送りました。
マスキングテープ製品の取り扱い比率が高い企業ほど、応諾してくれる可能性が高いと考えたからです。
ここでカモ井の概要について簡単に触れておきます。
カモ井は、1923年に岡山県倉敷市で創業し、現在は同市内に本社・工場を構え、岡山県小田郡に主力工場を設けています。
創業以来、約40年間、ハエ取り紙を中心とする殺虫・捕虫製品で成長を続けたものの、衛生環境の向上とともにハエの駆除に対する需要は1950年代をピークに減退期を迎えました。
(当時使用されていたハエ取り紙の製造機械)
(提供:カモ井加工紙)
そこで、ハエ取り用の粘着材で培った粘着技術を活かし、1961年に工業用粘着テープの分野に進出しました。
以来、和紙材のマスキングテープの製造・販売を主力事業とし、シーリングや車両塗装、建築塗装の市場で存在感を示しています。
中でも、シーリング用途においては、国内シェアの約6割を占めるトップメーカーとなっています。
こうした背景を持つカモ井は、企業間取引が専らの生産財メーカーであり、一般の個人消費者とは基本的に関わりを持つことがありませんでした。
そのため、3人の女性からのメールに当初戸惑ったといいます。
そうした中、彼女たちから “MTGB”が送られてきたのです。
そこには、色とりどりのマスキングテープを使ったコラージュや、マスキングテープ自体を艶やかな被写体として撮影した写真などが収められていました。
これを見てカモ井は、工場見学の依頼を受け入れることに決めています。
背景として、次のようなことがありました。
まず、カモ井は工業用粘着テープのメーカーでしたが、そのうち、約8割を和紙材のマスキングテープに依存していました。
ところが、この市場については、国内の自動車需要の減退や建築需要の減少などを背景に将来的には縮小は免れないと思われていました。
そうした状況にあったため、カモ井は、彼女たちと会うことで新たな市場開拓に繋がる何かしらのヒントが生まれてくるかもしれないと幾ばくかの期待を抱いたのです。
また、「本来の用途ではないにしてもここまで自分たちの製品のことを愛してくれている人たちの希望を無下には断れないと思った」というのも工場見学を受け入れた理由の1つでした。
2006年8月、カモ井を訪れた3人の女性の応対をしたのは常務の谷口幸生さんと総務の高塚新さんでした。
工場見学の最中、彼女たちは自分たちが希望するオリジナルカラーのマスキングテープを製造できないか、2人に打診しています。
以前からチョコレート色が欲しかったものの、どのメーカーからも発売されていなかったのです。
ところが、最低発注ロットが約20万円と聞き、ここでは一旦諦めることとなりました。
この日、彼女たちは、DICの色見本帳*1も持参していましたが、それをカモ井に見せて希望の色を説明するまでには至りませんでした。
但し、このやりとりが、後の展開の伏線の1つとなりました。
一方、谷口さんと高塚さんは、マスキングテープのちぎる、貼る、剥がすといった基本機能について、これまでにない新鮮な目線で新たな価値を見出している彼女たちの様子を目の当たりにし、「すっかり感化されてしまった」といいます。
特に彼女たちが示した色に対する強いこだわりや、マスキングテープを重ね合わせたときの「透け感」への関心態度は、既存の企業ユーザーにはない特異な点でした。
また、このとき谷口さんと高塚さんは、1冊目の自主制作本、“MTGB”の初版100冊は、既に完売していることを聞かされました。
当時、マスキングテープを雑貨として使うというのは、カモ井にとっては全くの想定外の使い方でしたが、そうした使い方を提案した同書が、発売後、2週間も経たないうちに、それも一ギャラリーカフェの一角という限られた販売エリアで完売したということは、少なくともそういった需要が、3人の女性以外にも存在することを示すものでした。
この工場見学をきっかけに3人の女性はカモ井との関係を一層深め、同社の歴史上、いやマスキングテープの歴史上、欠かすことのできない重要な役割を演じることとなりました。
この続きは次回。
*1:DICグラッフィックスが作成している色見本帳で、色指定をするときなどに使われる。例えば、DICカラーガイドの第19版には652色が収録されている。