事業化をもたらした「ユーザー側」の要因(1)
前回のブログ記事で、
- カモ井は他のメーカーに比べて新規事業のモチベーションが高かったこと
- そのことが(販売チャネル等の)補完資産への投資に正の影響を与えていたこと
を述べました。
ただ、このモチベーションの高さというメーカー側の要因だけでカモ井が事業化を行ったことを説明できるでしょうか?
確かに、カモ井は工場見学の依頼に際して3人の女性から送られてきた“MTGB”を見た際、「彼女たちと会うことで新たな市場開拓に繋がる何かしらのヒントが生まれてくるかもしれない」という期待を抱いています。
新規事業に対するモチベーションの高さはここに象徴的に表れています。
しかし、だからといってそれを事業化しようなどとは、少なくともこの時点では「露ほども考えていなかった」のです。
だとすると、何がカモ井の事業化の決定因になったのでしょうか?
その疑問を解く鍵はメーカー側ではなく、ユーザー側にあります。
第一に考えられる要因は、3人の女性が自ら需要の不確実性を低減させたことです。
それは、当時まだ市場に存在していなかった雑貨用途のマスキングテープ需要を創り出し、それを顕在化させる活動でした。
それがあったからこそ、カモ井による補完資産への投資が誘発されたのです。
以下、具体的に振り返ってみましょう。
需要の創造・顕在化という意味で彼女たちがはじめに取り組んだのは、自主制作本の発行でした。
それが戦略的だったのは、その小冊子をロバロバカフェで販売したことです。
ロバロバカフェは、リトルプレス*1と呼ばれる自主制作本を中心とした本の販売も兼ねたギャラリーカフェで、来店客の多くはアートに関心がある「本好き、雑貨好き」の人でした。
その意味では、彼(彼女)らは、雑貨用途のマスキングテープというものにより関心を持ちやすい層だったのです。
発行後2週間も経たないうちに初版の100部が完売したというのは、潜在ユーザーが集う場所でそれを販売したからと考えることができます。
また、当該自主制作本は手作りとはいえ、一素人が作った稚拙な見栄えの冊子ではなく、デザイン的に洗練されたものでした。
と言うのも、この制作作業を牽引した辻本氏は、以前からグラフィックデザイナーとしての仕事の傍ら、“Booklet”という自主制作本を発行しており、リトルプレスに関する一般書籍*2でも同書が取り上げられるなど、当該市場では比較的よく知られた人物だったからです。
共同で制作作業にあたったオギハラ氏も当時“RECIPE”という自主制作本を作っており、またいのまた氏もいくつかのフリーペーパーを発行していました*3。
つまり、彼女たちは本を制作する上で素人ではなかったのです。
だからこそ、“MTGB”は、ファッション性の高い、ビジュアル的にも洗練されたものとなったのです。
1冊目の自主制作本の初版は、ロバロバカフェという限られたエリアでの販売のみでしたが、2冊目の“MTPB”はチャネルを拡大し、自らが企画した「MT マスキングテープを使った作品展」が開催された全国5都市6会場でその販売を行っています。
しかもその会場の中には、全国的に有名な雑貨店も含まれていました。
つまり、ここにおいても彼女たちは、潜在ユーザーが集う場所を注意深く選定し、そこで新用途の認知、浸透を図ったのです。
また、職業柄こうしたチャネル・ネットワークを元々持っていたというのも、彼女たちがこのような会場選定を行えた要因の一つでした。
さらに、彼女たちは当該作品展について十分に練られた告知も怠りませんでした。
リトルプレス「いろは」への出稿はその一つです。
いろは(5号)に掲載された広告
当時、数あるリトルプレスの中でも同誌は特別視される存在で、『「いろは」を読むような女子はマスキングテープが好きな人が多いだろう』と踏んでいたのです*4。
作品展の会場では、作品の展示だけでなく、マスキングテープの販売も行いました。
具体的には、工業用のものを雑貨として「可愛く」ラッピングし直し、全て違った種類の色を組み合わせて販売しています。
(提供:いのまたせいこ氏)
その結果、元の3倍の価格でありながら、2巻組のマスキングテープが一会場あたり、約300セットほど売れています。
各作品展への来場者数は記録として残っていませんが、東京(経堂)会場だけでも実質10日間の展示期間中に500名から700名程度の人が来場しており、5都市6会場に亘って行われた作品展による新用途の認知、浸透の効果は少なくなかったと考えられます。
他にも1冊目の自主制作本、“MTGB”の発行とほぼ同時期に「マスキングテープ好き」というユーザーコミュニティをインターネット(mixi)上に立ち上げ、具体的な使用法などを積極的に発信していました*5。
ユーザーイノベーターは自らが行ったイノベーションを他者に無償で公開する傾向があることがこれまでいくつかの研究で報告されています*6。
しかし、彼女たちの一連の活動は、自分たちが発見した新たな用途を単に不特定多数の人に「公開」するといった次元に留まらず、リードユーザーである彼女たち自身が需要を創造し、それを顕在化させる活動であったと言えます。
こうした一連の活動が行われていたからこそ、カモ井にとっての需要の不確実性は、これらが行われていなかった場合に比べてはるかに軽減され、そのことが補完資産への投資に踏み切ることができた一因になったと考えられます*7。
次回は、カモ井による事業化をもたらしたユーザー側のもう一つの要因について議論します。
*1:大手の流通を通さずに個人で発行して販売している本のことを指す。
*2:柳沢小実(2006)『リトルプレスの楽しみ』ピエ・ブックス。
*3:オギハラ氏の“RECIPE”も雑誌のリトルプレス特集で2回ほど取り上げられたことがある。また、いのまた氏のフリーペーパーも上掲の書籍で紹介されている。
*4:他にも「雑誌カタログ」(主婦の友社)など15誌を超える女性誌の編集部に作品展のDMを送り、その結果、2誌から取材を受けている。
*5:当該コミュニティのメンバー数は、2016年3月時点で約5万人に拡大している。
*6:Morrison et al. , 2000; Franke and Shah, 2003; Harhoff et al. , 2003; Henkel and von Hippel, 2005
*7:時系列で言うと、カモ井が新たな販路を構築したのは、“mt”が上市された2007年11月以降である。しかし、構築の意を固め、その具体的な検討に着手したのは、市場の規模の不確実性が3人の女性の活動によって十分に低減した2007年5月頃であった。