リードユーザー
これまで見てきたように、本来、工業用途の副資材だったマスキングテープは、3人の女性によって、装飾目的の雑貨用途で用いられるようになり、その後、カモ井がこれを事業化しました。
以降、需要は順調に拡大し、現在、雑貨用途の市場規模は、国内和紙材マスキングテープ全体の約8%を占めるに至っています*1。
なぜ雑貨用途のマスキングテープは短期間にこれだけの市場拡大を果たしたのでしょうか。
この点について、女性誌Martの編集長、大給近憲氏は次のような見解を示しています*3。
雑貨用途のマスキングテープが発売されるずっと以前から、いわゆる「ママ友」の間では特別な機会でなくてもお互いにギフトを贈る行為が日常化していました。
ギフトと言っても、例えばコンビニのお菓子のような何でもないものです。
その際、これをどうかにかして可愛くラッピングしたいという「課題」が彼女たちの中にありました。
ギフトを贈る頻度からして、いちいちお店に行って本格的にラッピングしてもらっていたのでは、この課題に対応できませんでした。
そこで使われていたのがステッカーでした。
貼るという行為だけでなく、どういうものを選ぼうかと考え、それを集めるのも彼女たちにとってステッカーの楽しみ方の一つでした。
ミセスグロスマンという米国のステッカー・ブランドなどが流行ったのもその頃です。
そしてその延長線上にマスキングテープが出てきたのです。
マスキングテープは、ステッカーと異なり、手で簡単にちぎることができ、貼った後、きれいに剥がせるという特徴がありました。
また、ステッカーは表面加工されているため光沢感があるのに対し、マスキングテープは素材が和紙のため、独特の風合いがあり、とりわけ重ね合わせたときの透け感は他にはない特異的な特徴でした。
さらに、ステッカーと違って表面に文字などを書くこともできました。
こうした違いがあったので、マスキングテープは、規格品でしかないステッカーとは対照的にユーザーの裁量の幅が広く、遊びしろの大きいアイテムになり得たのです。
3人の女性は当時、工業用副資材としてしか使用されていなかったマスキングテープの中にこうした機能をいち早く見出し、その用途革新を行ったのです。
その結果、当初は彼女たちのニーズを充足するだけのものでしかなかったマスキングテープは、今では女性に人気のデコレーションアイテムとしてすっかり定着しています*4。
このことから、3人の女性は、mtが発売される2006年以前から「市場にいる多くのユーザーがいずれ経験することになるニーズに先行して直面していた」と言えます。
ではなぜ彼女たちは自らのニーズを充足する方法としてマスキングテープの用途革新を行うに至ったのでしょうか。
まず第一に、彼女たちは、ギャラリーカフェのオーナー、コラージュ作家、グラフィックデザイナーといずれも美術系の職業的背景を持っていたことから、装飾に関する「専門性」が一般の消費者以上に高かったことが挙げられます。
つまりそうした専門性があったがゆえに工業用副資材としてのマスキングテープの中にこれまで市場には存在していなかった「可愛らしさ」という新しい性能を発見できたと考えられます。
第二に、そうした職業的背景の持ち主であった彼女たちにとって、装飾という行為によって得られる価値がそもそも一般の消費者以上に高かったことが挙げられます。
経済学の言葉で言うと、マスキングテープをラッピングやコラージュなどの雑貨目的で使うことによって得られる「効用」*5が、一般の消費者に比べて3人の女性は高かったということです。
彼女たちがマスキングテープの用途革新を行ったのは、この専門性の高さと効用の高さがあったからと言えるでしょう。
こうした
- 市場にいる多くのユーザーがいずれ経験することになるニーズに先行して直面し、
- 当該ニーズを充足する解決策から比較的高い効用を得る
ユーザーのことをユーザーイノベーション研究の父、MITのエリック・フォン・ヒッペル先生は「リードユーザー」と呼んでいます*6。
エリック・フォン・ヒッペル(Open and User Innovation Workshop @MIT, 2014)
ユーザーなら誰でもイノベーションを行うことができるというわけではなく、リードユーザーと呼ばれるごく一部のユーザーがイノベーションを行うというのが、彼の主張です。
実際、そうした傾向があることがこれまでの実証研究で明らかになっています*7。
上記の定義に照らすと3人の女性はまさにマスキングテープのリードユーザーであったと言えます。
次回は、このリードユーザーである3人の女性が行ったマスキングテープの用途革新に対して、カモ井以外の同業他社がどう考え、どう反応したのかについて、紹介します。
*1:この約8%という数値は、建築塗装、シーリング、自動車塗装といった従来のマスキング用途に比べると決して高くありません。しかし、既存の工業用途市場は既に成熟期にあり、その大半を国内メーカー7社が分け合っていることを鑑みると、雑貨用途の新市場が誕生したインパクトは決して小さくないと言えます。
*2:政府や業界団体などによる統計データはなく、複数の企業への聞き取りによる。
*3:2011年11月15日に筆者が行ったインタビューのまとめ。
*4:小売価格ベースでは約20億円あまりの国内市場になっています。
*5:人が財(商品や有料のサービス)を消費することから得られる満足の水準。
*6:von Hippel, E. (1986) “Lead Users: A Source of Novel Product Concepts.” , Management Science, 32(7), pp. 791-805.
*7: 例えば、図書館の電算化情報検索システムやウェブサーバ・ソフトウェア、CADソフトウェア、過激なスポーツ、外科手術用器具などの製品分野でこうした傾向が見られることが確認されています。